大學眼鏡研究所主催
「始めての老眼鏡」作文大賞&佳作発表!

大賞
「老眼鏡の青春」
埼玉県・見澤 禎夫 様(68才)
 「お父さん、本当にやめて下さい」
 妻は私を止めた。しかし私の決意は揺るがない。妻を振りきるようにポストに投函した。それは大学の入学願書だった。
 今年定年を迎えた私は一念発起、大学進学を決意。もともと貧乏で高校には行かずに就職。以来、五十年以上も働きづめの生活をしてきた。そんな私はろくに机に向かったことがなく、当然華やかな青春時代もなかった。学生生活がしてみたい。その一心で入学を決意。小論文と面接で合格を決めた。
 しかしいざキャンパスライフが始まると教科書の字も見えない。思いきり遠くに離せば辛うじて読めた。
 「おっさん、老眼じゃね?」
 学生の一人が言った。その言葉にショックを受けた。けれどこの青年はこのあと衝撃の行動に出る。向かった先はメガネ屋と携帯ショップ。スマホがなければ連絡は取り合えないし、老眼鏡がなければ教科書は読めない。彼はそう言った。彼のおかげで生活は一変。授業、飲み会、コンパの連絡もLINEが大活躍。ツイッターも始めた。講義中は老眼鏡をかける。もちろん勉強に力も入るが、お洒落な学生が多く、夏は見えすぎて目のやり場に困ることもある。
 だけど老眼鏡があるから今の楽しさがある。
 LINEでの他愛のない話。教科書のクスッと笑えるコラム。ツイッターのつぶやき。
 「タナカ君に老眼鏡選んでもらいました」
 あの日の私のツイート。いまも増えるイイネの数。しかし本当に欲しいのはイイネより「イイメガネ」かもしれない。
 
 
佳作
「『食』は舌だけで味わうものじゃない【初めての老眼鏡】」
京都府・市岡 哲夫 様(68才)
 六十歳に手が届きそうになってきた頃、食事が楽しくなくなってきた。空腹感も食欲もあるし、好物はやはり美味しいと思うのに、いったい何故なんだろう。そんな思いを妻に打明けると、思いもよらない答があっけらかんと返ってきた。
 「もしかしたら、老眼じゃない」
 その時は、妻が何を言わんとしているのか理解できなかったが、新聞や本の文字が読み辛くなっていたのは確かだった。
 翌日、妻に誘われるまま、買物がてらさっそく眼鏡店に行き老眼鏡を購入した。
 その日の夕食、テーブルに並べられた惣菜を前にしたとき、妻が不敵な笑みを浮かべながら、今日買った老眼鏡を掛けて食事をするように促した。素直に従ったわたしは、自分の眼を疑った。食卓が鮮明な色で輝き、今までただの白い塊だった茶碗飯の米粒ひと粒ひと粒がはっきりと見えるのだ。まさにこれこそ旨そうな「銀シャリ」である。
 その感動的な夕食以来、老眼鏡は手放せなくなってしまった。しかし人間は勝手なもので、それが日常の当たり前になってしまうと、あの時の感動も少しづつ薄れていった。当初は、心を震わせ泪を誘うような感動であっても、その感動を持続させることは、どうも人間にはできないようだ。
 とにかく今は、「食」を当たり前のように楽しみ、時おり老眼鏡を初めて掛けた日の夕食の感動を思い出しては、ノー天気な妻の背中に、無言の感謝の言葉を、ちょっぴり投げかけている。
 
 
佳作
「老眼鏡デビューは意外にも
神奈川県・荻野 奈津子 様(53才)
子どものころ、御用聞きに来るクリーニング屋さんは眼鏡をさっと頭の上にかけて「通い帳」に記入していた。
高校時代の英語の先生は、胸を張り、腕もまっすぐ前に伸ばして教科書を読んでいた。
どちらもとてもかっこよく見えたのだが、今ならわかる。その本当の理由。

 ついに私にもその時が来たのだ。

出来上がった私の初めての老眼鏡は遠近両用眼鏡。
中学生のころから近視で眼鏡をかけているので、まわりの人は私の眼鏡が変わったことには気づいていない。
でもこの眼鏡には実はたくさんの魔法がかけられている。
遠くも近くもよく見えて乱視にも対応。
「牛乳瓶の底」にならないように可能な限り薄く加工されたレンズは紫外線カット仕様。
テンプルは形状記憶で少々乱暴に扱っても簡単には壊れない。
とまあここまでならまだ特別なことではないだろうが、アラフィフにはもう一工夫が必要だ。
文字が見えづらくなるだけではなく、口元や首にシワやたるみやらが出てくる世代。
仕方のないことで憂うべきではないのかもしれないが、できることなら目立たせたくない。
そこで新しい眼鏡のフレームは上品な赤色がレンズの上の方だけにあるものを選んだ。
周りの人の視線を口元ではなく目元に、しかもなるべく上の方に自然と持ってこさせようとする作戦だ。
もちろん、目元にも加齢のサインは否応なく現れる。
そこで最後の魔法はレンズにかける薄いオレンジ色のベール。
私の肌に合った絶妙なオレンジを眼鏡店の店長さんは選んでくれた。
目元の小ジワにクマにたるみ!抗しがたい悩みをそのオレンジ色はさりげなく、でも見事に覆ってくれた。
もしかして私、少し若返った?
新しい眼鏡の魔法はこれにて終了。

老境に入った寂しさなど少しもない。
クリアな視界とともに新しいアクセサリーを手に入れた。そんな感覚の老眼鏡デビューだった。
 
 
佳作
「老眼鏡と私」
埼玉県・見沢 富子 様(61才)
 老眼鏡。その英訳は reading glasses。つまり「読むための眼鏡」である。しかし新聞も読まない私には不要品だった。けれどそれは娘の離婚を機に必需品になった。あれは去年の暮れだった。ひとり娘が子どもを連れて離婚した。私はショックで言葉がなかった。孫娘だけならまだしもお腹には新しい命が。だけど娘が決めたこと。口を出す権利もない。そう心に蓋をした。しかしある時娘が頭を下げてこう言った。
 「仕事に出ている間、娘をみてほしい」
 私にも仕事がある。だけど断る理由より断れない気持ちが上回った。しかし内心、不安で仕方なかった。だって子育てなんてとっくの昔のことだから。そんな不安をよそに孫娘はやって来た。私はこの日のために買っておいた玩具を並べた。しかし孫は目もくれず「これ、よんで」と絵本を持ってきた。「ももたろう」だった。懐かしい記憶がよみがえり少しホッとした。しかし安心したのも束の間、絵本を開けど字がぼやけてしまう。私は孫を膝に乗せながら絵本を遠くに離した。すると「そうやってみたらだめ!」と孫が怒り出した。そうは言っても活字が読めなければ意味がない。仕方なく「ごめんね。おばあちゃん、見えないんだよ」と言った。しかし孫は荒れ狂うように泣いた。最後は泣き疲れ、そのまま眠ってしまった。私は涙で汚れたその顔に詫びた。
 翌日、老眼鏡を買いに行った。視界は見事に復活。白黒がハイビジョンになったくらいの心地よさだった。思わず孫に絵本を二冊買ってやった。こうして二人目が生まれるまで孫娘との絵本ライフは続いた。私が読むと孫が笑う。孫が笑うと私も嬉しい。そんな幸せは全て老眼鏡のおかげだった。今ではもはや育児のパートナーである。孫も増えてますます役に立ちそうだ。
 だけどどういうわけか、イマドキの子どもの名前。これだけは老眼鏡をかけても読めそうにない。そんな気がする。